先日のブログに水の確保の方法について書いたが、あらためて今の東京や首都圏に当てはめて考えてみた。
長い経過期間
既に関東大震災から98年が経過し、それ以前の関東地震、江戸地震、相模地震などの江戸、東京に影響を及ぼしてきた巨大地震の周期と云われる60〜70年はとうに過ぎました。
ありきたりの指摘だがいつ起きてもおかしくない。
しかし、今度来る関東大震災(首都圏直下型地震含む)は、過去のそれがもたらした被害の比ではない規模の傷を残す可能性が高いと思うのです。
関東大震災当時と現代の東京との相違点
関東大震災が起きたのは今から98年前の
1923年(大正12年)9月1日午前11時58分の事でした。
その当時は明治維新から50年ちょっと。
現在では都心部と呼ばれる場所においても、新宿はまだ内藤新宿と呼ばれた頃の名残を残す郊外であり、品川も同様でした。
同様に代々木や六本木は練兵場や陸軍の兵営や演習場だったのです。
都心の居住人口も当時の東京市15区で217万人(1920年国勢調査より)、区部の面積は現在の8分の1と、今とは比較にならないほどコンパクトな都市でした。
都市化と過密化がすすむ
その後、太平洋戦争を経て復興が進むに連れ、東京市から衣替えした東京都は急速に都市化が進むととともに、郊外への宅地開発、ニュータウン開発が進み、今や東京都単独で日本の総人口の10分の1を抱えるに至ります。
神奈川県も同様で、この2都県だけで実に2千万人超を数えます。
その為に宅地開発が進んだ結果、郊外の農地や緑地の宅地への転用が進み、地域の農地の宅地化や水源の汚染や井戸の廃止(水道化)などがさらに進んでいるとも考えられます。
かつては都心から少し郊外に出れば、安全な広い田畑とその作物が手に入れられましたが、今はそうは行きません。
都心における井戸の使用率が下がった
関東大震災において、被災の悲惨さ、特に火災や倒壊による悲惨な状況はよく伝えらていますが、水の不足や渇きに対してはそれほどには触れられていないように感じます。
おそらくそれは現在と当時における上水道普及率の違いが影響していると考えられ、当時は都内においても井戸や地下水にも水源を依存していた部分が多分にあるものと考えられます。
人々の危機意識が低下しているときが危ない
そういう昨今の変化を踏まえて考えると、人々の危機感は薄いと言わざるを得ません。
給水支援には期待できない
給水支援とよく言われますが、実際の給水能力を考慮すると絶望的な景色が見えてきます。
給水支援ですと考えられるのが、自治体による支援(水道局など)と、自衛隊による給水などが考えられます。
自衛隊が保有する水タンク車は複数ありますが、主に部隊配置されているものに牽引式1トン水トレーラがあります。
補給部隊などには10トン水車などもありますが、あまり多数は無いはずです。
中小部隊にも配属されている1トン水トレーラだと可能輸送量は1000リットルとなります。
ここで現実的なシミュレーションをしてみます。
標準的なタワーマンション一棟で考える
居住戸数300世帯
世帯平均人数3人ちょっととすると
およそ1棟あたり1000人
これが要支援対象と考えられます。
一人あたり2リットルの水を配るとすると、必要量2000リットル。
水トレーラはポンプのない自然落水による給水方式で、排出にかかる時間は遅いです。
そのため2リットルペットボトルを満たすのに必要な時間を2分とします。
1000リットルを排水するのに要する時間を計算すると、蛇口は6箇所あるので同時に給水できる量は12リットル/2分間。
全量吐き出すには1000÷12≒83回転。
一回転2分なので、83回転だと166分=2時間46分となります。
これを2回繰り返し、ようやくタワマン1棟分の給水支援が完了となります。これが状況が改善するまで毎日必要となります。
しかも空車に水を入れるには、郊外か被災していない配水池まで取りに行く必要があるのです。
その往復まで考えると一日に撒ける水はあまり多くはありません。
これが首都圏大規模震災となれば、人口密集地各所でこれが必要になります。おおよそ回らない事が容易に想定できると思います。
各個に水を作ることの重要性
そこで必要なのが「各人で飲み水を作る」という考え方が必要となって来ると思うのです。
そこで具体的に考えると、まずは飲用には適さない雨水や風呂の水、エネファームの中の水を抜いて使うなどが考えられます。
ちょっと時間ないので、本日はここまでとします。
近日中に浄水器を使った具体的な飲料水の作り方を上げます。
お読みいただきありがとうございました。
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